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MUSTより、WANT TO ⑤

ⒶⅣ 良い事例と悪い事例 

この良い事例について、ライト兄弟ほど相応しい人物はいません。

  サミュエル・ピエール・ポント・ラングレーについては、知らない方がほとんどでしょう。

20C初頭には、有人動力飛行は今日の .comのようなもので、誰もが試みていました。

 そしてサミュエルは、成功のレシピを備えていたのです。

誰かに聞いたとしましょう。「製品や会社が失敗する理由は何ですか❓。」

返答はいつも、資金不足、人材不足、市場環境の悪化の3つ

    詳しく見てみましょう。

サミュエルは5万ドル(今の日本円に換算して推定40億円位かな?)の資金を、

陸軍省から与えられ、飛行機を開発していました。

資金は問題はなし。ハーバード大に在籍し、スミソニアン博物館で働いていた彼は、人脈豊富です。

なので当時のTOPの頭脳達と、通じていました。

もちろん、金にものを言わせて、最高の人材を集めました。

市場の環境も絶好調。

NY・タイムズは、彼を追いかけまわし、皆サミュエルを応援していました。

  なのに、皆はサミュエルを忘れてしまったのです。

                ・

 一方そこから数百マイル離れた( ※参考までに、1マイル=1.6kmです。)

オハイオ州の居たライト兄弟は、成功のレシピとは、まるで無縁でした。

お金がなく、夢に挑む資金は、自分の自転車屋から持ち出していました。

ライト兄弟とその仲間たちは、誰も大学とは、無縁です。

NYタイムズに、追いかけまわされる事もありません。

 違っていたことは、ライト兄弟が理想と信念に動かされていたという事です。

もし飛行機を作り上げる事が出来たら、

 それは「世界を変えることになる。」と 信じていました。

一方、サミュエルは違っていました。彼が求めていたのは名声です。

それによって、得られる富と名声が彼の目的であり、それを追求していたのです。

  そしていったい、どうなったのでしょうか?

                  ・

ライト兄弟を信じて夢を見た者は、血と汗と涙を流して共に働きました。

もう一方のチームは、ただ給与の為に働きます。

 そしてついに1903年12月17日、ライト達は初飛行に成功。

それを、その場で目撃した人もいませんでした。

それが広く伝えられたのは、数日経った後です。

    つまりサミュエルの動機がまずかった

事を示す更なるもうひとつは、ライトが飛行したと知り、彼は諦めたのです。

  彼は、こうも言えたはずでした。

「連中はよくやった。我々の手でもっと改良してやろうじゃないか!」って。

でもそうはせず、一番になれず金持ちになれず(これからは貰った金が減っていくと判断)、

    有名にもなれなかったので、彼は諦めるのです。

   次回は、➅ イノベーションの普及の法則について、お伝えします。

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